思ったこと

些細なことから

キタキツネ

ねっとGu人

元コンビニ経営からネットで自由を手に入れたい。
時間や労働から解放され、ストレスフリーを目指してます。

最近バスに乗って外を眺めていたら、お坊さんを見かけました。

お椀の様なものを持って道端に立っていたのです。

今までで何度か見たことはあったけど、

『あれはなんて言う修行なのだろうか?』

ふと疑問に思いました。

家に帰ってからも気になったので、スマホで調べてみることに。

そして

お椀の様なものを持ってずっと立っているのは、

『托鉢(たくはつ)』

と言われるものだとすぐにわかりました。

それから

名前を調べたのと同時に修行の意味も同時に知ることになりました。

僕は正直なところ、

『お坊さんが修行の一環としてお布施を集めている』

という風にずっと今まで思っていました。

きっと多くの人も同じように思っているはずです。

ところが実際には、

とても奥が深いものだということを知るきっかけに繋がりました。

托鉢を見たことのない人もいるかもしれないので、簡単に説明しますが

托鉢とは

托鉢

お坊さんが道端で托鉢椀というものを持ちながら立っていて、

その托鉢椀に通りがかりの人が食べ物やお金を入れて与えてあげることです。

 

地域にもよると思いますが、最近ではあまり見かけないかもしれません。

僕も記憶の限りでは、決して多く見かけたことはありません。

もしかしたら、気づいていなかっただけかもしれませんが・・・・

真夏でも見覚えがあるので、本当に大変だなぁと思ってしまいます。

今回調べてわかったのですが、

この修行は決してお坊さんのためだけのものではない

ことがわかりました。

簡単に托鉢のルーツを説明すると

はるか昔に

お釈迦様は弟子を率いて托鉢に出向き、弟子にこう言ったそうです。

お釈迦様
お釈迦様
貧しい人々が集まるところへ行きなさい

もちろん弟子たちは当然にお釈迦様に対し、

裕福な人々が集まる方がよいのでは?
お弟子
お弟子

と聞いたそうです。

当然にそう思うはずです

裕福な人々が多いところの方が、沢山のお布施が期待できるのですから

しかしその問いにお釈迦様は、

お釈迦様
お釈迦様

私は道を誤ってはいませんよ

貧しい人たちの所へ行きなさい

そして貧しい人に施しの機会を与えるのです

と答えたそうです。

この一連の流れは解釈は、

・貧しい人々は施しを与えたことがないから、施しを知らずに貧しい

・よいことをすれば、それはいずれ巡ってくる

このことを気づかせてあげるという意味が含まれています。

なかなか奥が深いお話です。

更にお話の続きがあって、

その貧しい人々の中にでも、

わずかながらですが食べ物を入れた人が現れました。

その人に対してお釈迦様は、

お釈迦様
お釈迦様
やがて悟りを開くでしょう

と言いました。

しかし

食べ物を入れた人の旦那さんが、

そんなわずかなもので悟りが開くわけがないじゃないか
旦那さん
旦那さん

と食って掛かったそうです。

するとお釈迦様は旦那さんに、

お釈迦様
お釈迦様
あたなが珍しいと思うものは何ですか?

と問いました。

すると旦那さんは、

村一番の大木だ!
旦那さん
旦那さん

と答えました。

それを聞いたお釈迦様は、

お釈迦様
お釈迦様
その大木は、さぞ大きな種からできたのでしょう

すると旦那さんはむきになって、

そんなことはない小さな種からできたんだ
旦那さん
旦那さん

と言いはりました。

お釈迦様は、

お釈迦様
お釈迦様
そんな小さな種からあんな大木ができたとは誰も信じたりしない

と言い返しました

そう言われた旦那さんは更にむきになって、

誰も信じなくてもオレは信じている
旦那さん
旦那さん

それを聞いたお釈迦様は改めて、

お釈迦様
お釈迦様
そうでしょう・・・

元は小さくても、あんなにも大きくなるんですよ

この様にお話は続きました。

・よいこともわるいことも、なんであれ小さいことからはじまる

・どんなものでも最初は小さく、よいことは運に恵まれ大きくなっていく

こうしたことを伝えてくれる托鉢についてのルーツのお話です。

僕は仏教や宗教には入っていません

メンターも入っていないそうです

でも

メンターは仏教にとても詳しいです

この辺りはメンターのYouTubeなどを、観てもらうとわかります。

僕は今回偶然、気になったお坊さんの姿から

托鉢

について知ることができました。

そしてあらためて学ぶこともできました。

メンターからの教えと通ずるものがあって、

再認識というか重要性に偶然にも気づくことができました。

それは引き寄せの法則によるものなのか

必要な情報が自分にタイミングよく入ってきた気がしています。

仏教については全然わかりませんが、

今回少し学んでみて

仏教はあらゆるものに精通していて繋がっているような感覚を覚えました

この辺りは

うまく言葉では伝えられないのですが・・・

今は何となくそう感じています。

例えると

仏教は宇宙と密接に繋がっている様な感じがしているような・・・

ひょっとしたら

宇宙の秘密や神秘さを伝えるために、

仏教の教えや言い伝えがあるのはないかと

なんだか不思議な感じですけど

そんな風に感じています

今はまだまだわかりませんが、

学びを続けていくことで少しずつこの辺りが見えてくる気がしています。

もしかしたら

もう既にメンターには見えているのかもしれません

そして見えているから配信を通じて、

僕たちに伝えてくれているのかもと感じています。

 

今回のこの托鉢についても

僕がメンターと出会わなかったら

深く知ろうともせずに、学び知ることもなかった気もします。

何とも不思議ですが、

今回のお話のように

僕がお坊さんに気が付き

気にならなかったら

この大切な学びもなかったと思うと

なんとも神秘的な感じがしています。

『既に目の前にある』

とのメンターの言葉も思い出しながら

様々なことが繋がっていることも実感することができました。

きっと誰にでも些細なことから、

大きなことへと繋がること

大切なことにつながること

があると思うので

日常のふとした身近なものに、今一度目を向けてみてください。

小さなものからでしか、大きなものへと繋がらないのですから

最後までお読みいただきありがとうございました。